肉体を意識する。

やはり何かを書いていないと何らかが欠けてくる、若しくは埋もれていってしまうらしく、昨日の記憶は殆どなく、今日は退院してから一番遅い時間、昼過ぎの14時に目が覚まし、起き上った。
嘔吐の回数が酷く、疲労する。が、嘔吐の理由は凡そ解っていていて、今すべきことも出来そうな気がする為、安心と放心とで日々が過ぎていく。

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言葉では伝わらないものが確かにある。しかし、それは、言葉を使い尽くした人だけが言えることだ。
言葉は、心という海に浮かんだ氷山のようなものだ。海面から浮かんでる部分は僅かだが、それによって海面下に存在する、大きなものを知覚したり、感じ取ったりすることができる。
言葉は大事に使いなさい。そうすれば、ただ沈黙しているより、多くの事をより正確に伝えられる。正しい判断は、正しい情報と正しい分析の上に初めて成立する。
ヤン・ウェンリー

いと

最近の、日常的反射的になってしまっている頭の中での口癖は、いつも卑しい。
自分の停滞ばかりが目についてしまう日には、特に体調が優れない時には、ぐるぐると悪い考えが血液のように否応なく巡ってきてしまう。
何度か吐き出すような形で声に出してみようともするのですが、頬が引き攣って、肺の所でいつも言葉が詰まって適いません。
肺が苦しい。そう思ってみても、肺が何処なのかすら正確なものを私は知りません。胸が苦しい。そう、胸が。
どうしてと問いかければ私の鼻先が、この停滞を打ち破ってしまいたくてとチリチリしながら応え、でも停滞するという事は維持という事でもあるのだから絶対的に悪いとは言えないだろうに、と今度は肩が軋み、ああ、もう頭の中がぐわんと揺れて、自分がまるでブランコそのものになってしまっているかのようなので、可笑しくなってしまいそうです。いえ、もう可笑しいのかもしれません。だからこそ今絶叫をしています。絶叫しようとしています。
このノート、この断片的な世界に対して。健全と身体に宿った一つの感情として。けれど卑しい、無遠慮にも卑しい。

Close

平衡感覚が相変わらずも覚束ない。エリック・サティ
自分が何時から何時までの間外に居て、歩行して、珈琲を飲み、何本煙草を吸って、何を見て、何を考えて生きていたのか。今日の一日の事さえ思い出せずに。そう、視界と思考が霞んでいる。
ただうっすらとした視界の中で世界は過ぎて、果たしてそれは自分が揺れているのか、地が揺らいでいるのか判らなくて、何だろう。頭の中がチリチリする。鈍く、すーっとその感覚だけが過ぎ去っていく。自分の意識だけが途方もなく遠い場所に置いていかれる。
眠い、眠くない。ああ、眠る事は最早逃避でしかないだろう。けれど頭の奥がぼやぼやとして、世界と自分との境界がはっきりしない。なあ、怖いんだよ、なんて呟いてみて、そんな自意識に吐き気がするから、瞬間首ががくんとうなだれて、そのままうずくまる。
いつから私は自分の眼を閉じる事に馴れてしまったのだろう。
酒と煙草と自意識に溺れている。ああ、もう。溺れる、という言葉はなんて日本語滲みているんだろう。嫌だなあ、なんて思いながら何度だってノートに書き連ねるんだ。手と思考が疲労するだけだという事を知っていてもね。

Hand

もう一度朝が来るのなら、その時はこのベッドから見上げるカァテンの暗がりも、焦点の定まらない目眩のような気持ち悪さも、静かに感じたい。有り難うもおはようもおやすみもごめんも全て、呼吸をするように吸い込んで。

傷付けても傷付けられても、それでもその時互いは向き合った者同士の筈なんです。だから。

箱庭

悲しい。何とは無しに悲しさを感じる。母さんと私は違う。父さんと私とも違う。異質、だ。今感じているこれは壁そのものだ。
ああ、私は人生というものを走馬灯のように駆け抜けたかったのだ。何も思い返すこともなく。人形のように居座って。

果実

私は、あの日、あの時、人生の中で初めて父に対して汚ならしい、という意識を持った。そんな自分を受け付け難くて、今こうして戸惑いめいた憂いを感じている。よりにもよって、10月だなんて、と。関連付けても仕様のない事柄に気落ちしてしまいながら。雨音が耳に触れる。空気が薄くて重い。ベッドと自分との接触感覚が乏しくて消え入りそうな気分になる。果てしなく、遠い。